cueikusuta's blog

Age of Empire 4(AoE4)の攻略など

ネトゲのクランをサークラした話

4,5年前の話 たぶん誇張が入っている

 

留年

当時あるネトゲにくそほどハマっていた。再試験の前日にもやって落ちて留年したくらいに。

中小クランに所属していた。いわゆるわいわいクランで、実力は気にしないので緩くやろうというところだった。

月一でクラン内イベントを催していて、紅白戦とかかくれんぼみたいのをやっていた。そのイベント目当てにクランに加入したので楽しかった。

とはいえクラン戦をやらないわけでもなかった。報酬が美味しかったので、ぼくが積極的に人を集めてクラン戦を行なった。

そうして密に関わるようになるうちに、クラン運営側がやばいということがわかってきた。

 

 

ぼく vs 運営

運営側は3人いた。名前はもう覚えていないのでA,B,Cとしておく。

Aは癇癪持ちで、クラン戦でキレだすやつだった。あまりにうるさくてVCの雰囲気が悪くなったので、ぼくがたしなめた記憶がある。まあでも場を盛り上げてくれるいい人だった。

Bが一番の問題のやつだった。キレたりはしなかったが、とにかく性格が悪かった。いかにもサークラって感じのやつだった。

悪口が大好きで、人と揉めるとその人の悪口を言ってきてうざかった。仲悪いやつを運営の権力によってクラン戦から省いたりしていた。

CはBの金魚のフンで、とりあえず同調する感じだった。とはいえ常識人ぽく、悪口とか言わなかったのでいい人だった。Cに絡まれている時が一番かわいそうだった。

 

ぼくはクラン活動によく参加していて、割とゲームが上手い方だったので、発言力がけっこうあった。仲良いクラメンも多く、よくしてもらっていた。

ある日、ぼくとBが衝突した。

クランイベント中なのにBが雰囲気悪く悪口を言いはじめた。それをぼくがたしなめたら、今度はぼくのことを言ってきはじめた。適当に受け流しながらその日のクランイベントは終わった。

次第にぼくはBに悪口を言われたり、クラン活動からハブられるようになった。

別にBと関わらなくてもクラン戦はできたし、そもそも僕がクラメンを集めていたので問題はなかった。

関わるのも面倒なので放っておいた。たまにBがきみのことを言っていたよ、みたいなことを耳にする時があるくらいだった。

こうしてぼく周りの人 vs B(と運営)という構図が出来上がった。

 

くそくらえ

所属していたクランは連絡手段がskypeのグループチャットとクランが所有していたブログのみだった。ログが流れると確認できないし、ブログはあまり保守されておらず、イベントの当日に更新されるという具合だった。

あるとき、他のクランが自分たちのwikiを持っていて、自己紹介とか戦術を書いているのを見た。ぼくもクランwikiというものを作りたくなった。

wikiならみんなで編集できるし、いつでも見られるし、いいことづくめだと思った。

そこで運営側にwikiを作るのはどうですかと提案した。わくわくしながら返答を待った。

ぼくはもちろん通ると思っていた。だって損することもないし。

ところがBから帰ってきた答えはNOだった。理由は意味がないから、だった。

ぼくは作るメリットをたくさん提示した。そうしたら向こうは跳ね返すように、拒否する理由を付け加えて返信してきた。

「あなたのことが嫌いだし、運営の権力を分散したくない(意訳)」

?????????????????

 

裁き

ぼくはすぐこのことをskypeのグループチャットに暴露した。もちろんwikiを作るべきだというクラメンがほとんどを占めた。反対は運営側だけだった。

さらになぜ飛び火したのかわからないがB叩きが始まった。もともとBに不満を持っていた人が多かったのだと思う。

議論は二日続いた。skypeのログが流れまくり、wikiの必要性が再確認できた。

結局、運営側が折れて、wikiは作られた。さらにクランからBが追放された。してやったりだと思った。CがBにはお世話になったけどなんたらかんたら、みたいな言い方が印象的だった。

こうしてクランの平和は守られた。

 

バッドエンド

と思っていたが、騒動が嫌になってクランを脱退してしまったメンバーが何人かいた。しかも、ぼくとよくプレイしてくれた人達だった。

もちろんぼくのモチベはだだ下がりである。

さらに、抜けた人たちはクラン戦の中心メンバーだったので、クラン戦メンバーが集まらなくなった。クランイベントの方も微妙な人数の集まりだけになり、クラメンのモチベの下がり方が見てとれた。

wikiもたいして保守されなかった。

 

クランを良くするためにBを追放して、wikiを作ったのに、結末は違った。

この騒動で幸せになった人はいただろうか。

 

 

そしてぼくはリーグオブレジェンドというゲームに誘われた。クランなどどうでもよく、このネトゲはプレイしなくなった。このあとのクランのことはよく知らない。まだ存続しているらしい。

 

真のサークラはぼくだったのである。